壊れるこころ

宇多田ヒカルさんの母で、伝説的な歌手・藤圭子さんが投身自殺した。
僕は藤圭子という歌手のことは全く知らないので、ニュースで「投身自殺」と聞いても、毎日聞かされる「よくある悲しい出来事」としてしか受け止めてはいなかった。
しかし、宇多田ヒカルさんのコメントや、元夫の宇多田照實氏の手記を拝読して心が抉られてしまった。
宇多田ヒカルさんが幼い頃より、藤圭子さんは躁鬱がはじまり、年々症状が激しくなっていったという。そして家族や周囲の人々に対して攻撃的な言動や行動が耐えなくなっていたとのこと。
宇多田ヒカルさんのコメントにある「鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が速い・・云々」のくだりは、まさに躁鬱になる人の特徴を言い得ている。
家族である父娘は、気を遣いもう何年も過ごしてきた。家族にとっても心の安まる時間はなかっただろう。
藤圭子さんの場合は、病院へは通っていなかったようだが、躁鬱の場合は、年齢とともに躁と鬱の反転の周期が短くなるので、トラブルも耐えなかったはずだ。
躁鬱病の恐ろしいのは、躁状態のときだ。
妄想を現実と思い込み、家族はもちろん、近所の人間にもところ構わず、罵声を浴びせ当たり散らす。
どんなに治療を勧めても、「私は正常で、周りがおかしいのに、どうして病院に行かなくてはならないの?!」と反発し、なんとか病院に連れて行こうと、しつこくすると激高して、ますます拒絶してしまう。
周りの人間をすべて悪者にし、少しのミスも、不用意な発言をしようものなら一晩中でも罵声を浴びせてくる。どんなに論理的にまとめた意見でさえも聞く耳を持ってくれない。
そんな躁状態の場合は、第3者に危害を加える恐れも十分にあるので、家族としては目を離すことができない。
お金使いも荒くなり、お金が無くなるまで、いや無くなっても特に必要のないものを買いあさるので、いつの間にか多額の借金を背負うこともあるという。
家族が真摯に謝罪して説明しても、他人にはこの病気は全く理解されない。
見た目は全く普通だし、常識もある。鬱の時には「ただの怠け者」、躁の時には「面倒くさい変人」と思われ片付けられる。中には同情してくれる人もいるが、一般人で協力的な人はゼロといってもいい。誰もが関わらないのがいいと判断するくらい、自己中心的で傲慢な面倒な人格なのだからだ。
こういう家族を見捨てるのは、ある意味簡単だ。
心に傷は残るだろうが、離婚をしてしまうのが家族の幸せにとっては一番楽な道だとも言える。
実際、近年は離婚し、お互いに自由な生活を送っていたようだが、それまでの宇多田家では家族みんなで、藤圭子さんの失われた心を何とか取り戻そうと必死にがんばって耐えてきた末の結論だと思う。
躁鬱病は、薬さえ上手に飲んでいれば、直ることは無いが、心は大分安定する。
いつでもレベルが振り切れる臨界状態を保っているに過ぎないが、トラブルをグッと減らし普通の状態の期間を長くできる。壊れてしまった対人関係は修復はできないだろうが、家庭の中が平和だということは、心が安まるというものだ。
本当に惜しまれるのは、心療内科にきちんと受診しなかったということである。本人からどんな罵声を浴びせられようと無理にでも連れて行ってほしかった。
そうすれば、最後には平和な家族の生活を望めたかもしれない。
藤圭子さんの晩年は、旅行三昧だったということ。
独り、躁と鬱を繰り返す、狭間の中で、一時訪れる「正気」の時。
彼女は何を考えていただろう。
通院することなく62歳という若さで、終止符を自ら打ったわけだが、死を持って最愛の家族の幸せを作ろうと考えていたのかもしれない。
