2021年1月1日

NO JUSTICE, NO PEACE.

NO JUSTICE, NO PEACE.

昨年の全米テニスで優勝したテニスプレーヤー大阪なおみさんのマスクによる追悼と抗議の意思のメッセージには、心を揺さぶられるものがあった。コロナ対策が日常となりマスクをする習慣が当たり前にならざる負えなかった時に、その習慣を逆手に取ったように、黒人被害者らの名前が書かれた「マスク」を着けて入場したのだ。

用意したマスクは7枚。アメリカでの警察官らの黒人への暴行で亡くなった犠牲者ひとりにつき1枚づつ。彼女はトーナメントを勝ち進むたびに、マスクを取り替え、見事に用意した全ての犠牲者の名前を披露することに成功した。

彼女自身も、黒人の遺伝子を色濃く受け継いだ容姿から、嫌な思いも沢山してきたのだろうと思う。実際に全米オープンで優勝して一躍有名になった時も、日本の心ない腐った連中からの中傷も多かった。

人はみんな同じ形をしているというのに、色が違うとか、生まれや育ちが違うとか、信仰する神が違うとかどうでもいいことで線を引きたがる。こういう差別する意識は、長い歴史の中で遺伝子に組み込まれた思い出せない記憶なのかもしれない。

簡単に言えば、防衛本能。
自分にとって危険なものは、実害を受ける前に排除せよという逆らうことのできない命令である。僕自身、個人的にあったこともないが、報道を見る限り北朝鮮の独裁者や中国全人代の傍若無人ぶりには、恐怖を覚えるし、このまま放置しておけば自分の国が危ういという危機感が募る。

こういう曖昧な恐怖感が差別意識の根底にはあると思う。そして恐怖体験の伝承は、伝えられた人間の脳にインパクトを与え、想像力により膨らみ伝播していく。歴史を知るということは大事なことだが、世代を超えていつまでも引き継いでいくべきものなのだろうか?

いつまでも慰安婦問題にこだわり続ける韓国の人を見ると、実際に自分が体験したわけでもないのに異常なまでの執着を持って日本を非難している。正直、70年も前の出来事で責められても、当時の記憶のない僕にはピントが合わない不条理なことにしか感じない。僕から見れば、ただ彼らは他人を蹴落とし優位に立ちたいだけなんだと映る。

今、新型コロナ感染症で世界は未曾有の事態になっている。感染が広がる中で、コロナに感染した人への差別もあるという。これも感染への恐怖心からの差別だ。

高校生の頃、まだ張り紙だらけの法政大学に遊びに行った際に、ふとしたことから差別問題の話題になった。差別は良くないという大学生を前に意見を求められた純朴で素直な僕は、直感的に「差別をなくすことはできない」と発言し、正義感のあると自負するインテリな大学生らから言葉の集中砲火を浴びた。それは諭すようなものというよりは戒めでもあり、僕の考えを全否定する強い口調のものだった。

あれから30年経った今も差別は無くなることはないだろうと思う。
なぜなら、差別を無くすには「人としての正義」が必要だからだ。残念ながら、今の世界を見ていると正義の名の下で差別が平気で行われている。

本当の正義がない世界では、永遠に平和な世界は訪れるはずもない。
僕は無神論者だが、もし神という者がいるなら、いい加減に人類の馬鹿さ加減に呆れてリセットされてもおかしくないとも思う。

2021年は、ワクチンが世界中で接種されるようになる希望の年になると言われているが、当然、ワクチンの供給も先進諸国が優先だ。世界中の人が求めても、すぐに手に入るようなものでもない。これもある意味差別だ。
今度のコロナワクチンは世界では前例のない「遺伝子ワクチン」だという。どんな副反応があるかも定かでない状態だが、ひょっとしたら人間の遺伝子異常を引き起こして、「差別の記憶」の遺伝子を欠損させてくれるかもしれないと、淡い期待を持っている。

2021-01-01 | Posted in ILLUSTRATIONNo Comments » 

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