2020年4月30日

楽しい夏休み

昨日からG.W.に突入したわけだが、思った通りコロナ禍は終息する気配もなく国の緊急事態宣言は5月末まで延長される見通しになった。

子供たちは、1学期=約4ヶ月間のうちの半分が自宅学習になる。オンライン学習は、昨今の子供たちにとっては違和感は少ないのかも知れないが、それでも学校教育というものは、何も「勉強」だけではない。

特に新1年生など未発達の子供にとって、小学校というのは「社会性」を養うのに重要な時期である。「いいこと」と「わるいこと」の概念や、感情のコントロールなど、クラスメートや先生とのコミュニケーションがないと学べないことが小学校には沢山ある。

つい最近になって、9月始業案が出始めたが、個人的には僕もこの案に賛成だ。毎年、雪やインフルを心配する受験のことを考えれば、4月始業よりも9月始業の方が自然で合理的だと思う。

仮に6月から学校が始まったとしても、失われてしまった2ヶ月という時間を、残りの時間で取り戻そうとするには、相当に無理があるし、幼い子供にとって、「教育の遅れ」は、のちのち個々の「人間性」にも影響があるかも知れない。低学年に限らず多くの子供にとっても授業の遅れは、もっと深刻な影響が出るだろう。

今の状況を見る限り、都や国が言うように今からあと1ヶ月でコロナ禍が完全終息するとはとても思えないし、終息出来たとしても、教育現場が混乱するのは目に見えている。

だましだましで、先延ばしにしていれば、どんどん対応が遅れていく。
もう、ここまで教育時間を失ってしまった以上、次を想定して動かなくては混乱が広がるだけだ。

コロナウィルスは、一旦終息しても、抗体を持たない人が数的優位にある以上、第2、第3の流行が必ずくる。

この際、早急な完全終息は絵空事とあきらめて、9月始業に的を定め、計画しなおして対応をするべきだと思う。

校舎への出入りのルールの策定や、学校内の消毒設備の拡充、空調や空気清浄機の設置、サーモ測定器による入室管理などハード面の対応も、今から行えばそういう事態になっても、今後は学校教育が影響を受けずにすむ可能性が高くなる。

しかし、一方で、今まさに目標を定めていた受験生の中には、9月入学になると、苛立ちを覚える人も多くいると思う。実際、宅浪生など自習だけで受験勉強してきた人もいるだろう。そういう子供たちにとっては、突然「半年先に伸びました」と上から言われても納得できないし、モチベーションやコンディションを保つのも大変だ。

コロナ禍がなかったとしても、9月入学にするのは段階的に行ったほうが良い。
特に大学受験は、4月入学か9月入学を自分の都合に合わせ選べるようにしてあげるのが筋だろう。時代的にも受験生を十羽ひと括りにして、センター試験で能力判定するのは前々から疑問に思っていた。

努力して勉強した学生には、大学はチャンスをどんどんあげていいと思う。持論だが、本来なら大学入学は、個々の能力を認めた上で入学を許可するのだから、優秀な学生はいつでもウエルカムなはずだ。
受験のチャンスは年1回何て言わずに、2回、3回、4回と与えてあげるのが本来の姿だと思う。

いずれにしても、今回のコロナ禍は、将来的な9月入学・始業に移行するにはいい切っ掛けだ。これからの日本社会には思い切った改革が必要なのは誰もが分かっている。だらだらと20世紀の慣習に縛られていては、先が見えている。利権や面倒だからなどの理由で踏み出せないだけの様な気がする。

将来的にワクチンが開発されるか、集団免疫ができたとしても、コロナに限らずウィルスは、比較的簡単に変異してしまう特性がある。これからの日本社会は、巨大地震同様に未知のウィルスが流行することも想定していかなくてはいけない。

有事の際の「想定外」なんていう言葉は、科学者の声に耳を傾けない政治家のいいわけでしかない。データが揃っている以上、心配性は恥ずかしいことではない。過去の戦争でも生き残った人の多くは臆病で慎重な人だ。危険を危険としてとらえられない人は、その分命を短くするだけだと思う。

2020-04-30 | Posted in RAKUGAKI ESSAYNo Comments » 

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